遊 旅人の 旅日記

2003年7月14日(月)晴れ

新庄より立川町狩川へ
今日は、まず朝<柳の清水>に寄り、最上川の舟下りをして、R47を立川町<狩川>まで歩く。舟下りは<戸沢村の古口>から乗り、<最上峡、仙人堂、白糸の滝>を舟の上から眺め、終点の草薙温泉で下船。およそ16kmの船旅をした後、立川町狩川に向かう。


今日の行程は舟に乗るため多少余裕があると考え、出発時間を30分程遅くする。
ホテルのフロントで舟下りの運行状況を尋ねる。すると、「このところ雨が降り続いており、増水していれば欠航することもある」と言われる。一瞬「しまった、いつもどおりの時間に出発すればよかった」と後悔をする。
予定した歩行距離よりも、16km多く歩くとなると、4時間程多く歩かなくてはならない。今日は最初からそんなに歩く予定はしていない。体力よりも気分的に参ってしまう。出発前から躓いてしまった。心してゆこうと気を引き締める。


新庄市柳の清水跡AM5:50 ホテルを出発し、
<柳の清水>に向かう。R13から少し外れた住宅街の中にある。「水の奥 氷室尋る 柳哉」の句碑がある。芭蕉は新庄へ向かう旅の途中、乾いた咽をこの清水で潤したのであろうか。
R13と別れ、立川町、酒田方面に行くR47に入る。立川町まで38kmと出てくる。「もし舟が運行していなかったら、最悪だ」などとの思いがわいてくる。
しばらく歩いていると、小学生や中学生の登校する姿が目に入ってくる。皆、元気に挨拶をしてゆく。私も元気に挨拶を返す。子供達に元気をもらう。少し時間がたつと今度は登校する姿が高校生になる。高校生になると挨拶をしなくなる。

最上川 本合海 芭蕉乗船場跡に建つ芭蕉と曾良の像
最上川にかかる本合海大橋の手前をR47からはずれ、左、旧道のような家並みを通り最上川の川べりに行くと、小さな公園がある。そこに芭蕉と曾良の像が建っている。
<芭蕉乗船の地・本合海>である。最上川の流れを見ながら、しばらく小休止。このあたりの最上川は、大きく蛇行している。


本合海を後にして、しばらく最上川沿いの道を歩く。
真夏の太陽が照りつけ暑くなってくる。前方、丘の上に朱塗りの建物群が見えてくる。
<高麗館・日韓友好の村、モモカミの里>と案内があり、その先に<道の駅・とざわ>の標識がある。丘を回りこんで行くと、前方にコンビニが見えてくる。ちょうど休みたいところだと思い、コンビニの駐車場を歩きながら、ずっと行く手・前方を見ると、車の並んでいるところが見える。何台かの車がそこに入ってゆく。大型バスも入ってゆく。「乗船場だ!舟下りはやっているぞ!」コンビニによるのを止め、急ぎ足で そこを目指して歩く。<戸澤藩船番所>と書いた大きな標柱が立っている。
新庄の宿を出てから、ずーっと心の中にあった不安が吹き飛んでしまう。


船上からの最上川風景乗船場は多くの人で大賑わいだ。ここは、江戸の昔、川を航行する船の監視にあたっていた
<戸沢藩の舟番所(古口)>のあったところである。建物は当時の舟番所の建物を復元している。芭蕉が新庄の本合海から乗船し、手形を渡した舟番所のあった<古口>である。
沢山の団体客、グループが乗船を待っている。私は一人だったためだろうか、11時の舟に、すぐに乗ることが出来た。
船着場に向かって歩いていると、一人の船頭さんが近づいてきて、「新庄から歩い下船した草薙温泉近くからの最上川風景てきたんでしょう。」と云う。その船頭さんは、新庄からここまで車で通っていて、今朝、私の歩いている姿を見かけたという。
また乗客の名簿を確認していた船頭さんは、私の名簿を見て、「自分は船頭になる前、群馬県高崎にある会社に勤めていた。今は、故郷に帰って来て船頭になったんです」と、懐かしそうに言っている。
私が、運行状況が心配だったと話すと、台風などで大増水しない限り、雨が降ろうが雪が降ろうが欠航はしないという。皆、人の良い船頭さんたちだ。私の乗った舟は若い女性の船頭さんであった。色々な面白い話を聞かせてくれた。
最上川 白糸の滝このあたりの川の水深は2m程という。水の色を見ると、もっと深そうな色をしている。空には、白い鳥が飛んでいる。かもめだという。川沿いに魚を追って昇ってくるようだ。
<仙人堂>を過ぎ<白糸の滝>を過ぎると終点の<草薙温泉>である。青い空と、目に沁みるような山々の緑、豊かな川の流れ、そして、まだうら若い女船頭さんのユーモアあふれる話に心和ませた快適な船旅であった。下船したところは<最上川観光センター>になっている。昼食を取りしばし休む。


R47を最上川沿いに立川町に向かい歩く。橋を渡り道がカーブしているところに
<清川八郎記念館>の案内がある。記念館は旧道の市街地の中にあるようだ。<清川八郎>の名前は知っているが、そのほかは、幕末の尊皇攘夷派の志士と言う事以外知識を持っていない。
そのすぐ先に
<芭蕉下船の地>の案内がある。<清川関所>が有ったところと言う。芭蕉はここで舟をおり、合海より同船してきた禅僧二人と別れたのである。
土手を下りてゆくと、小学校の校庭に入る。校舎の傍らに
<芭蕉下船の地>の標柱と芭蕉の像が建っている。
石碑の前の木陰で、しばし休ませてもらう。芭蕉が下船した清川に建つ芭蕉像(清川小学校校庭)


しばらく休憩の後再び歩き出す。左側道路の下に鉄道の線路が走っている。その土手の草を刈っている人たちがいる。炎天下での作業大変だ。刈った草が太陽に照り付けられ、干し草の良い香りを発している。夏の臭いだ。
遠く前方に大きな風力発電の風車がいくつも見えてくる。このあたりは強い風の通り道になっているのであろうか。

4時少し前、宿に到着。立川町狩川、曾良日記にある
<雁川>である。
宿で荷物を解き、早めに沸かしてくれた風呂に入り、部屋でパソコンを取り出し、明日の目的地である
<羽黒山>近くの宿を検索しようとするが、インターネットは圏外で検索できない。お女将が麦茶を持ってきてくれる。「明日の宿が探せない」と言うと、宿坊でも良かったら探してくれるという。話好きで気の良い女将だ。パソコンのことも良く知っている。再び女将が来て「明日、羽黒山は<花祭り>で、周辺の宿泊施設は皆一杯だ」と言うが、羽黒山の入り口近くで土産物屋をやっている親戚に、今頼んで探してもらっているという。
しばらくして「少し値段が高いが、山の上に
<国民休暇村>がある、そこだったらまだ空きがあるようだ」と云う。即お願いをする。値段が高いというが、私の予算が低すぎたため、気を使って言ってくれたのだ。よく聞いてみると、その<国民休暇村><出羽三山神社>の社殿の近くで、<月山>の上り口にも近いという。私にとっては、またとない良い場所である。またも感謝感激である。

ご主人が持っていると言うハーブの研究所で作った石鹸をお土産にもらう。
今日は、真夏の太陽が照りつける中、舟下りを楽しみ、、後半はかなり疲れてしまったが、良い旅が出来た。そして最後に、宿の人たちの親切に出合った。

おくの細道
最上川は みちのくより出て 山形を水上とす ごてん はやぶさ なと云 おそろしき難所有 板敷山の北を 流て 果は酒田の海に入 左ー右 山おほひ 茂みの中に舟を下ス これを いなふねと云 白糸の滝は 青葉の隙々に落て 仙人堂岸に臨て立 水みなきつて 舟あやうし
      
さみたれを あつめて早し 最上川
曾良日記
○三日 天気吉。新庄ヲ立、一リ半、元合海。次良兵ヘ方ヘ甚兵ヘ方ヨリ状添ル。大石田平右衛門方ヨリも状遣ス。船、才覚シテノスル(合海ヨリ禅僧二人同船、清川ニテ別ル。毒海チナミ有)。一リ半古口ヘ舟ツクル。是又、兵七方ヘ新庄甚兵ヘヨリ状添。関所、出手形、新庄ヨリ持参。平七子、呼四良、番所ヘ持行。舟ツギテ、三リ半、清川に至ル。酒井左衛門殿領也。此間ニ仙人堂・白糸ノタキ、右ノ方ニ有。兵七ヨリ状添方ノ名忘タリ。状添不シテ番所有テ、船ヨリアゲズ。一リ半、雁川、・・・
俳聖 松尾芭蕉・芭蕉庵ドッドコム

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