遊 旅人の 旅日記
新庄より立川町狩川へ |
今日は、まず朝<柳の清水>に寄り、最上川の舟下りをして、R47を立川町<狩川>まで歩く。舟下りは<戸沢村の古口>から乗り、<最上峡、仙人堂、白糸の滝>を舟の上から眺め、終点の草薙温泉で下船。およそ16kmの船旅をした後、立川町狩川に向かう。 今日の行程は舟に乗るため多少余裕があると考え、出発時間を30分程遅くする。 ホテルのフロントで舟下りの運行状況を尋ねる。すると、「このところ雨が降り続いており、増水していれば欠航することもある」と言われる。一瞬「しまった、いつもどおりの時間に出発すればよかった」と後悔をする。 予定した歩行距離よりも、16km多く歩くとなると、4時間程多く歩かなくてはならない。今日は最初からそんなに歩く予定はしていない。体力よりも気分的に参ってしまう。出発前から躓いてしまった。心してゆこうと気を引き締める。 AM5:50 ホテルを出発し、<柳の清水>に向かう。R13から少し外れた住宅街の中にある。「水の奥 氷室尋る 柳哉」の句碑がある。芭蕉は新庄へ向かう旅の途中、乾いた咽をこの清水で潤したのであろうか。 R13と別れ、立川町、酒田方面に行くR47に入る。立川町まで38kmと出てくる。「もし舟が運行していなかったら、最悪だ」などとの思いがわいてくる。 しばらく歩いていると、小学生や中学生の登校する姿が目に入ってくる。皆、元気に挨拶をしてゆく。私も元気に挨拶を返す。子供達に元気をもらう。少し時間がたつと今度は登校する姿が高校生になる。高校生になると挨拶をしなくなる。 最上川にかかる本合海大橋の手前をR47からはずれ、左、旧道のような家並みを通り最上川の川べりに行くと、小さな公園がある。そこに芭蕉と曾良の像が建っている。<芭蕉乗船の地・本合海>である。最上川の流れを見ながら、しばらく小休止。このあたりの最上川は、大きく蛇行している。 本合海を後にして、しばらく最上川沿いの道を歩く。 真夏の太陽が照りつけ暑くなってくる。前方、丘の上に朱塗りの建物群が見えてくる。<高麗館・日韓友好の村、モモカミの里>と案内があり、その先に<道の駅・とざわ>の標識がある。丘を回りこんで行くと、前方にコンビニが見えてくる。ちょうど休みたいところだと思い、コンビニの駐車場を歩きながら、ずっと行く手・前方を見ると、車の並んでいるところが見える。何台かの車がそこに入ってゆく。大型バスも入ってゆく。「乗船場だ!舟下りはやっているぞ!」コンビニによるのを止め、急ぎ足で そこを目指して歩く。<戸澤藩船番所>と書いた大きな標柱が立っている。 新庄の宿を出てから、ずーっと心の中にあった不安が吹き飛んでしまう。 乗船場は多くの人で大賑わいだ。ここは、江戸の昔、川を航行する船の監視にあたっていた<戸沢藩の舟番所(古口)>のあったところである。建物は当時の舟番所の建物を復元している。芭蕉が新庄の本合海から乗船し、手形を渡した舟番所のあった<古口>である。 沢山の団体客、グループが乗船を待っている。私は一人だったためだろうか、11時の舟に、すぐに乗ることが出来た。 船着場に向かって歩いていると、一人の船頭さんが近づいてきて、「新庄から歩いてきたんでしょう。」と云う。その船頭さんは、新庄からここまで車で通っていて、今朝、私の歩いている姿を見かけたという。 また乗客の名簿を確認していた船頭さんは、私の名簿を見て、「自分は船頭になる前、群馬県高崎にある会社に勤めていた。今は、故郷に帰って来て船頭になったんです」と、懐かしそうに言っている。 私が、運行状況が心配だったと話すと、台風などで大増水しない限り、雨が降ろうが雪が降ろうが欠航はしないという。皆、人の良い船頭さんたちだ。私の乗った舟は若い女性の船頭さんであった。色々な面白い話を聞かせてくれた。 このあたりの川の水深は2m程という。水の色を見ると、もっと深そうな色をしている。空には、白い鳥が飛んでいる。かもめだという。川沿いに魚を追って昇ってくるようだ。 <仙人堂>を過ぎ<白糸の滝>を過ぎると終点の<草薙温泉>である。青い空と、目に沁みるような山々の緑、豊かな川の流れ、そして、まだうら若い女船頭さんのユーモアあふれる話に心和ませた快適な船旅であった。下船したところは<最上川観光センター>になっている。昼食を取りしばし休む。 R47を最上川沿いに立川町に向かい歩く。橋を渡り道がカーブしているところに<清川八郎記念館>の案内がある。記念館は旧道の市街地の中にあるようだ。<清川八郎>の名前は知っているが、そのほかは、幕末の尊皇攘夷派の志士と言う事以外知識を持っていない。 そのすぐ先に<芭蕉下船の地>の案内がある。<清川関所>が有ったところと言う。芭蕉はここで舟をおり、合海より同船してきた禅僧二人と別れたのである。 土手を下りてゆくと、小学校の校庭に入る。校舎の傍らに<芭蕉下船の地>の標柱と芭蕉の像が建っている。 石碑の前の木陰で、しばし休ませてもらう。 しばらく休憩の後再び歩き出す。左側道路の下に鉄道の線路が走っている。その土手の草を刈っている人たちがいる。炎天下での作業大変だ。刈った草が太陽に照り付けられ、干し草の良い香りを発している。夏の臭いだ。 遠く前方に大きな風力発電の風車がいくつも見えてくる。このあたりは強い風の通り道になっているのであろうか。 4時少し前、宿に到着。立川町狩川、曾良日記にある<雁川>である。 宿で荷物を解き、早めに沸かしてくれた風呂に入り、部屋でパソコンを取り出し、明日の目的地である<羽黒山>近くの宿を検索しようとするが、インターネットは圏外で検索できない。お女将が麦茶を持ってきてくれる。「明日の宿が探せない」と言うと、宿坊でも良かったら探してくれるという。話好きで気の良い女将だ。パソコンのことも良く知っている。再び女将が来て「明日、羽黒山は<花祭り>で、周辺の宿泊施設は皆一杯だ」と言うが、羽黒山の入り口近くで土産物屋をやっている親戚に、今頼んで探してもらっているという。 しばらくして「少し値段が高いが、山の上に<国民休暇村>がある、そこだったらまだ空きがあるようだ」と云う。即お願いをする。値段が高いというが、私の予算が低すぎたため、気を使って言ってくれたのだ。よく聞いてみると、その<国民休暇村>は<出羽三山神社>の社殿の近くで、<月山>の上り口にも近いという。私にとっては、またとない良い場所である。またも感謝感激である。 ご主人が持っていると言うハーブの研究所で作った石鹸をお土産にもらう。 今日は、真夏の太陽が照りつける中、舟下りを楽しみ、、後半はかなり疲れてしまったが、良い旅が出来た。そして最後に、宿の人たちの親切に出合った。 |
おくの細道 |
最上川は みちのくより出て 山形を水上とす ごてん はやぶさ なと云 おそろしき難所有 板敷山の北を 流て 果は酒田の海に入 左ー右 山おほひ 茂みの中に舟を下ス これを いなふねと云 白糸の滝は 青葉の隙々に落て 仙人堂岸に臨て立 水みなきつて 舟あやうし さみたれを あつめて早し 最上川 |
曾良日記 |
○三日 天気吉。新庄ヲ立、一リ半、元合海。次良兵ヘ方ヘ甚兵ヘ方ヨリ状添ル。大石田平右衛門方ヨリも状遣ス。船、才覚シテノスル(合海ヨリ禅僧二人同船、清川ニテ別ル。毒海チナミ有)。一リ半古口ヘ舟ツクル。是又、兵七方ヘ新庄甚兵ヘヨリ状添。関所、出手形、新庄ヨリ持参。平七子、呼四良、番所ヘ持行。舟ツギテ、三リ半、清川に至ル。酒井左衛門殿領也。此間ニ仙人堂・白糸ノタキ、右ノ方ニ有。兵七ヨリ状添方ノ名忘タリ。状添不シテ番所有テ、船ヨリアゲズ。一リ半、雁川、・・・ |
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